キグルミ
2006年6月4日昨日は一日薔薇と過ごしました。
…じゃあ、昨日の日記に書けよ。
「日記」じゃないじゃんか。
とは言っても、思ったのは、考えたのは、今日なんだよ。
だから、ちゃんと「日記」なのさ。
そう、昨日は薔薇と「デート」でした。
好きだと思える相手と過ごせるのは嬉しいものです。
色々な話を一緒にしたり。
色々な景色を一緒に見たり。
共有するという事は素敵な事だと思います。
でもね。
一日経って、あなたと共有できたと思えるのは、色々なコトガラと時間だけ。
同じ景色を見ても、感じることや思うことは人それぞれ。
そんなのは当たり前の事だし、だからこそ面白いんだ、人間は。
でも、そのそれぞれに違うお互いを知る事やわかる事が、一緒にいる意味なのじゃないの?
その上、その知った事やわかった事を相手がどう感じるのか、受け止めるのかを、知る事ができてこそ、一緒にいる意味があるのじゃないの?
ああ、うまく言えない。
あなたは私に関心なんて、興味なんてないんでしょう。
あなたは私がそばにいて、自分の話に相槌を打って笑っていれば、それで満足なんでしょう。
たしかにそれは、人間が生きていく上でとてもありがたいと感じる存在かもしれない。
でも、それはアカの他人にでもでき得る。
あなたは私達ふたりの関係を「老夫婦がお茶を片手に縁側で仲良く日向ぼっこしてるような関係」なんて言った。
それを聞いたとき、正直阿呆じゃないかと思ったよ。
それはそれは素晴らしい構図。
でも、私達は老夫婦なんかじゃない。
その構図はね、ふたりが「老夫婦」になるまで、色々な思いを長い時間かけて共有してきたからこそ、そこに在り得るんだよ。
お互いの嬉しい事もつらい事も、誰より一番近い場所で支え続けてこれたから、そこに在るんだよ。
私達はたかが「つきあって2年」。
いったいどれだけの思いを、時間を、共有してきたと言うの?
少なくとも、私はあなたのことを何も知らない。
あなたは私の何を知っているの?
私を一番知っているのは、私の家族だ。
家族も知らない私の一面を知っている人もいるけど、それはあなたじゃない。
単なる表現の問題、深い意味はないよとあなたは言うかもしれない。
あなたじゃなくても、そう言うかもしれない。
そう、そんな些細な些細な事でいきり立つ私はおかしい。
世の中の何を知っているわけでもない私がこんな事を言う方が、おこがましい。
ありがたくあなたの言葉を受け取れない私の方が、素直じゃなくて、ひねくれていて、変だ。
わかってるけど、納得できない。
そして、納得できない私を、あなたは気にしない。
「俺がそう思うんだ」に、私が何を言ったって、それは他人事。
私が何かを好きでも、嫌いでも、気になっても、知りたくても、嫌でも、つらくても、痛くても、所詮他人事。
御自分が満足なされば、それで万事はOK。
所詮は他人、なら一緒にいる意味なんてどこにもない。
肩書きだけの「恋人」なら、「恋人募集中」の方がいい。
ねえ、私は綺麗に飾られた人形になれるほど、立派な人間じゃないよ。
縁側であなたに撫でられて甘える猫より、ずっとずっと質が悪いんだよ。
折に触れ思う。
あなたが好きになってくれたのは、やっぱり私がかぶっていた着ぐるみだったのかな。
親父殿が一年がかりで外してくれた、笑っているだけの着ぐるみを着たまま生きていけるほど、私は強くも優しくもないよ。
なんて我儘。
誰にも言えない戯言。
私の心の中は、こんなに汚い。
こんなところに穴を掘って埋めたって何も解決しないのに。
生えてきた葦で笛を作らなきゃならないのは、必ず私なのにね。
…じゃあ、昨日の日記に書けよ。
「日記」じゃないじゃんか。
とは言っても、思ったのは、考えたのは、今日なんだよ。
だから、ちゃんと「日記」なのさ。
そう、昨日は薔薇と「デート」でした。
好きだと思える相手と過ごせるのは嬉しいものです。
色々な話を一緒にしたり。
色々な景色を一緒に見たり。
共有するという事は素敵な事だと思います。
でもね。
一日経って、あなたと共有できたと思えるのは、色々なコトガラと時間だけ。
同じ景色を見ても、感じることや思うことは人それぞれ。
そんなのは当たり前の事だし、だからこそ面白いんだ、人間は。
でも、そのそれぞれに違うお互いを知る事やわかる事が、一緒にいる意味なのじゃないの?
その上、その知った事やわかった事を相手がどう感じるのか、受け止めるのかを、知る事ができてこそ、一緒にいる意味があるのじゃないの?
ああ、うまく言えない。
あなたは私に関心なんて、興味なんてないんでしょう。
あなたは私がそばにいて、自分の話に相槌を打って笑っていれば、それで満足なんでしょう。
たしかにそれは、人間が生きていく上でとてもありがたいと感じる存在かもしれない。
でも、それはアカの他人にでもでき得る。
あなたは私達ふたりの関係を「老夫婦がお茶を片手に縁側で仲良く日向ぼっこしてるような関係」なんて言った。
それを聞いたとき、正直阿呆じゃないかと思ったよ。
それはそれは素晴らしい構図。
でも、私達は老夫婦なんかじゃない。
その構図はね、ふたりが「老夫婦」になるまで、色々な思いを長い時間かけて共有してきたからこそ、そこに在り得るんだよ。
お互いの嬉しい事もつらい事も、誰より一番近い場所で支え続けてこれたから、そこに在るんだよ。
私達はたかが「つきあって2年」。
いったいどれだけの思いを、時間を、共有してきたと言うの?
少なくとも、私はあなたのことを何も知らない。
あなたは私の何を知っているの?
私を一番知っているのは、私の家族だ。
家族も知らない私の一面を知っている人もいるけど、それはあなたじゃない。
単なる表現の問題、深い意味はないよとあなたは言うかもしれない。
あなたじゃなくても、そう言うかもしれない。
そう、そんな些細な些細な事でいきり立つ私はおかしい。
世の中の何を知っているわけでもない私がこんな事を言う方が、おこがましい。
ありがたくあなたの言葉を受け取れない私の方が、素直じゃなくて、ひねくれていて、変だ。
わかってるけど、納得できない。
そして、納得できない私を、あなたは気にしない。
「俺がそう思うんだ」に、私が何を言ったって、それは他人事。
私が何かを好きでも、嫌いでも、気になっても、知りたくても、嫌でも、つらくても、痛くても、所詮他人事。
御自分が満足なされば、それで万事はOK。
所詮は他人、なら一緒にいる意味なんてどこにもない。
肩書きだけの「恋人」なら、「恋人募集中」の方がいい。
ねえ、私は綺麗に飾られた人形になれるほど、立派な人間じゃないよ。
縁側であなたに撫でられて甘える猫より、ずっとずっと質が悪いんだよ。
折に触れ思う。
あなたが好きになってくれたのは、やっぱり私がかぶっていた着ぐるみだったのかな。
親父殿が一年がかりで外してくれた、笑っているだけの着ぐるみを着たまま生きていけるほど、私は強くも優しくもないよ。
なんて我儘。
誰にも言えない戯言。
私の心の中は、こんなに汚い。
こんなところに穴を掘って埋めたって何も解決しないのに。
生えてきた葦で笛を作らなきゃならないのは、必ず私なのにね。
コメント